清澄白河駅(大江戸・半蔵門)から徒歩5分で着く都会のオアシス「清澄庭園」。隣には子供たちの楽しい遊び声が聞こえる清澄公園。
週末の晴れた午前中には、平日のストレス砂漠で溜まりに溜まった鬱憤を、健康的におさらばしたいものです。
日光を浴びるということは、セロトニンやビタミンDを分泌させストレス解消と疲労回復に効果があります。セロトニンの分泌は脳の緊張・興奮を抑えうんぬんカンヌン。。
午前中に日光浴びて、夜よく眠りましょうぜって話なんすよね。日照権では争うけど、太陽光浴びるのに金はかからねえってわけで、割といいQOL回復術ですね。
清澄白河ってどのあたり?
この辺りです!
清澄庭園
素敵な庭園ですねえ〜。
歴史
都立庭園としての清澄庭園。その歴史というか、こちら個人のお持ち物でらっしゃったらしく。まあ色々あって今は150円で入れる素敵庭園らしいです。
家康さんが来るまで
ここ清澄は深川地区という深川飯のエリアにあります。ヨシってイネっぽいのが茂る、低湿地帯だったそうですが、将軍が来るってんで人も増えたので、開発されまくった土地だそうです。
そこからは、魚介類の需要に応えるために、流通拠点として発達しました。
一回久世さん宅(の一部)になった
三河国で家康さんに貢献しまくってた同郷の久世さん(久世広之さん)が、ご褒美に千葉北部から都内の東あたりをもらって、千葉のお城に住んだんだけど、ちょうど東京の常盤橋がその関所あたりだったらしく、上屋敷(奥さん達やご家族が)を常盤橋御門に、中屋敷(ご隠居や世継ぎが)を箱崎町に、下屋敷(地元からの荷揚げ場として)を深川伊勢崎町(この頃深川伊勢崎のほとんどが清澄庭園)にって感じで建ったんですね。
明治維新の後は岩崎さんち
維新のちょっと前に将軍家(慶喜さん)に返還されたお屋敷だけど、維新のゴタゴタで持ち主は転々とする羽目に。
そんな感じの中、西南の役とかでバリ儲けて海運王となってた天下の三菱財閥創業者「岩崎弥太郎」様がこの土地を買うことになりました。
実はこの頃お屋敷ボロボロだったとか😢
でも、ガーデニング大好きっ子だった弥太郎様は「イライラしたら超好きないい庭見たりして、気ィ落ち着かせるわ。」的なことをおっしゃられていたので(「吾は性来これという嗜好なけれど、常に心を泉石丘壑に寄す。これを以て憂悶を感ずる時は名庭園を見る。中略、ひとり加賀邸の庭園は無数の巨巌大石を配し、老樹黙綴して豪宕の趣き深山の風致あり。若し吾に庭園を造る時あればかくの如きものに倣はんと欲す。」)、買っちゃたみたいです。
岩崎家の皆々様で修繕の歴史
弥太郎さん→弥之助さんとご兄弟で修繕へ励み、明治24年(1891年)に修繕を完成させたそうです。13年もかけたんですなぁ。
すごいっすねええ。そこからは『回遊式潮入り林泉の名園』と呼ばれるほどだったそうです。
その後弥太郎さんのご子息、久弥さんが後を継ぐわけだけど、明治の間にイギリスの元帥さんを招待するなど、えらいところに私は行ってきたんだなと驚愕。
関東大震災ではみんなを守ってくれた
1923年に起きた関東大震災。。みんなも知ってる大災害。
なんと久弥さん、その3年も前に一般公開に踏み切っていたそうで、それのおかげかそうではないのか、一般市民の避難場所として活用された記録が残っているそうです。とてもいい話。
その他、真ん中の池では木材の貯木場としても活用され、復興へ向けた一番の動きを始め、東側半分は公園としても開放されました。
その後東京へ寄贈
その翌年となる大正13年に、久弥さんから東京市長へ庭園は寄付され、様々な設備の修繕や移築を行った後の昭和3年に開館式を行い、正式に一般公開となったって話です。
いやあ、すごい歴史ですね。
その後の私
もんじゃ食べにいきました。もんじゃ美味しい。もんじゃ美味しい。
コメント